「リビングのある家」/「ワンルーム」の二重構造モデルが成立すると、次の変化が予想された。「リビングのある家」では、リビングルームの団らんがなかなか成立しないままに家族の個人化がますます進んだ。父親の残業、子どもの塾通いで家族が住まいに滞在する時間が減るのだから、主婦が奮闘しても一家団らんの時間はとれない。共食の習慣はすたれ、当然、個食化が進む。それが子どもの非行、閉じこもり、拒食などの病的現象の原因だ、母親の責任だ、という批判の声があがった。
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歴史学や人類学は、日に三度三度、家族が食卓を囲むという文化は限られた時代、限られた地域の文化であることを教えているのだが。現代日本の母親は、母親業は怠ったとも、やり過ぎだとも非難される損な役割だと感じていることであろう。父親は父親で、家族のためにこれだけ働いて、書斎もない自分は何だ、と憤懣やるかたない。事態はもっと大きな社会構造のなかにあるのではないだろうか。男は会社、女は家庭という性別分担の当然の帰結がこれであるのに、わたしたちは何を今さらあわてているのだろう。「王様は裸だ」と言える子どもたちは、どうして三〇年くらい先のシミュレーションができなかったの、と問う。資源の枯渇、公害、人口爆発、南北経済格差の増大、戦争といった警鐘が、けたたましく鳴りつづけていたのにね、と。